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重藤暁

大学の講師や笑い屋としてラジオのレギュラー出演などマルチに活躍する常磐津(研究)の重藤暁さん。
常磐津の世界に飛び込んだ経緯や、今後の取り組みについてお話を伺いました。

常磐津一佐太夫(ときわず かずさだゆう)

京都市中京区先斗町生まれ。

1950年:初代豊後半中師に入門。

1957年:豊後半四郎の名前を許される。

1978年:四世常磐津文字兵衛師に師事。
1979年:初代常磐津一佐太夫となる。

2005年:常磐津節保存会会員として重要無形文化財保持者 に認定

歌舞伎や日本舞踊会・常磐津演奏会などに幅広く出演中。 新曲の作曲や古曲の補曲も積極的におこなっている。
現在、関西常磐津協会理事。


重藤暁(しげふじ ぎょう)

東京都荒川区生まれ

早稲田大学基幹理工学部に入学後、落語研究会に入会。
同会の先輩であるサンキュータツオ氏の論文に感銘を受け、一橋大学大学院に進学。落語を研究。

一橋大学院では、実際にサンキュータツオ氏に直接出会い影響を受ける。

現在は、江戸川大学情報文化学科特別講師
TBSラジオ「神田松之丞の問わず語りの松之丞」の笑い屋
健学社「食育フォーラム」で「シゲちゃんのここが噺のききどころ!」連載中
など多方面にわたって活動している。

常磐津を知っていますか?
そう、皆さんご存知、
三味線と語りで構成される伝統芸能です。
(あ、知らないぞ!そんな方もご安心を!)

小学校のころの芸術鑑賞会などで記憶がある方がいるかもしれませんが、
大人になると伝統芸能にふれる機会って、なかなかないですよね。
「歌舞伎であれば」というあなた、じつは常磐津は歌舞伎と密接な関係にあるのです。

プロフィールにあるようにマルチな活躍をする重藤くんは、
常磐津一佐太夫師匠の弟子として、常磐津の世界へ飛び込みました。
「常磐津そのものを、もっとみんなに知ってほしい」
そんな想いが先生に届き、今回は特別に、一佐先生にもお話を伺えることになりました。

聞き手の編集部は、
伝統芸能に興味はあるもののまったくの素人。
そんな素人目線の内容に対して、おふたりはとても丁寧にお答えてくださいました。
一緒に伝統芸能の世界を覗いてみましょう。

先生 平成の人にインタビューや撮影されるなんて、不思議なかんじがするね。

一同 (笑)

出会い、それは奇跡。

―― まず重藤くんと先生の出会ったきっかけといいますか、関係性からお伺いできればと思います。

先生 重藤くんの先輩にあたる方が、わたしの古い生徒だったんです。その方の紹介ですね。もう3年目になるかな?

重藤 はい!2014年8月に初めてお稽古場に足を踏み入れたので、いま3年目です!

―― 先生の目には、重藤くんはどのように映っていますか。

先生 はじめはみんなそうですが、「常磐津とは何ぞや」ということもわからない状態。重藤くんは稽古場に初めてきて、常磐津にふれて興味を持ってくれたようで。

「それなら」というわけで、ぼくも一生懸命に教えて、重藤くんも一生懸命に食らいついて。熱心についてきてくれたことは、それがぼくとしては、たいへんな喜びで。よい印象が今まで、ずーっと続いているんです。

重藤 よかった(笑)。稽古場へ連れてきてくださった先輩は、一橋大学の大学院受験をしたときの面接官の方だったんです。面接の時に印象が強かったようで、入学後にお稽古場に連れてきていただきました。

―― まさにご縁ですね。入門される方は、常磐津の家で生まれて志す方もいらっしゃれば、重藤くんのように、のちのち興味を持って入門される方、大きく分けてこの二つのパターンになるのでしょうか。

先生 そうですね。まあ昔から、常磐津の家に育った人でない方で、プロを志すというのは、めずらしいことなんですよ。だいたいは親が常磐津をやっているので、その環境の中で子守唄がわりに常磐津を聴いていて「やってみようか」みたいな始まりですよね。

―― 重藤くんのように、のちのち志す方は少ないということですが、もし興味がある方がいれば、門戸は開かれているのでしょうか。

先生 門戸はね、開きっぱなし。

一同 (笑)

―― 一般のぼくたちはてっきり、踏み込めない世界なのかなと。

先生 「頑(かたく)な」なかんじがしますでしょう。ドンドンと叩かないと扉を開けないみたいな。実はずっと、開けていますから。

―― そうなんですね。イメージをもう少しつかむために、落語と比較をさせてください。入門するというのは落語でいえば、たとえば立川流のような「一門」に入るというかたちでしょうか。それともあくまで先生「個人」に弟子入りするということでしょうか。

先生 個人につきます。そういう意味で出会い自体が…奇跡みたいなものだね。

重藤 そうですね(笑)本当に。

先生 楽屋でイヤなこともあるでしょうけどね、そんな表情も見せないでずっとついてきてくれる。そこがすばらしい。人間性もいいです。今のところ非のところが見つからない。

一同 (笑)

―― 欠点を見つけようとしても見つからない!先生にとって出会いは奇跡ということですが、重藤くんとしてはいかがでしょう。

重藤 どのようなものなのか、前知識もなかったのですが、先輩にお稽古場に連れてきていただいて、一佐先生にお会いすることができたり、常磐津に出会えたことは奇跡だと思います。

―― 大学時代は落語研究会に入っていて、落語のような伝統芸能には興味はあったけれど、そこから常磐津に接触する機会はまったくなかった。

重藤 そうですね、歌舞伎は少し見ていたのですが「これが常磐津だ!」と意識して見ていることはなかったです。

―― 重藤くんにとって常磐津の第一印象はどんなものでしょう。まずは「見た!」ですよね。

重藤 ここの空間(稽古場)に3年前の8月にきたんです。一目見て「なんじゃこりゃ」と思いましたね。

―― 正直な感想ですね(笑)。もうすこし聞かせてください。

重藤 「お、おお?」という感覚から入りました。日常生活では出会わない音、日常生活では出会わない言葉ひとつひとつが戸惑いでした。面と向かって教えていただいているのに、言葉が聞き取れなかったです。

でも皆さんがこんな一生懸命に稽古をやってるし、なにより一佐先生が汗をかきながら、それでいてスマートに皆さんと向き合っている様子をみて「これはなんか、おもしろいんじゃないか」と思って。

常磐津がわからないのが悔しいと思ったのでウィキペディアで「常磐津」って調べ、図書館にいって常磐津の本を読んで。「次こそ!」と身構えてお稽古場に行ってみると、それが杞憂だったみたいに、自然と頭がぽーっとしちゃう感じになって見事におもしろいということがわかりました。

―― そこから徐々にのめりこんでいったと。正式な入門というタイミングはあるのでしょうか。

重藤 先生から、国立劇場の楽屋に鞄持ちで連れていっていただいたのが、入門というタイミングだったかもしれないです。

先生「時間があったら着いてきてくれるか」と言うと「いきます!」と。そこから今までずっと、続いているね。

―― あっ、もうそこから。

先生 ええ、自然とですよね。

―― では「はい、ここから開始」というわけではなく。

先生 厳しいことはこれから教えますけどね。

重藤 あははははっ(笑)。

先生 これまで言わなかったこともね。

初舞台が歌舞伎座デビュー、奇跡は続く。

―― そういえば重藤くんは先日、歌舞伎座デビューということで。

先生 それはねえ…奇跡です。

一同 (笑)

先生 歌舞伎をやる劇場としては最高の場です。そこで風邪で急遽、欠員が出たんです。歌というものは、劇場が大きいものだから4人いないとだめ。

「どうしようかな」と思って関係者の方に聞いていたら「彼(重藤くん)に座らしたら、どうですか」ということになって。もちろん一日の舞台ですよ。もちろん重藤くんがソロで歌うところなんてないですよ。そのうえで「出てみるか」と言ったら「出ます!」と。

―― おおお。

先生 本番の4日前くらいに打診があって、そこからすぐに着物の紋付など知り合いに頼みに行ってね。

―― 重藤くんはお客さんの前でこれまで何度か舞台には上がっていて?それとも…?

重藤 はい。本当に一番最初に、歌舞伎座に出させていただきました。

―― それは、奇跡ですね!

一同 (笑)

先生 これまで誰も経験しないことですね。何年も重ねていって「歌舞伎座に出るんだよ」と言うと「ええっ」となるんですが、いきなりだったんですね。

―― 音楽でいうと、歌手がいきなり武道館でライブでデビューするようなものですかね。

先生 そうそう。

―― でも「やってみるか」「はい!」が成り立つのは、重藤くんの信頼性あってのことですよね。信頼がないと打診もなかったと思います。

重藤 先生によく言われていたのが、ひとり欠けたときに「おれが行ってやるんだぞ」というくらいの気持ちを持って、横で聴いてなさいと。なので、ここで断ってしまったら、こんなチャンスはこの後何年もないのではないかと思ったので。「やります!」と言葉が自然と出ました。

―― 常に自分が演じるという心がまえがあったからこそ、決断ができた。

重藤 はい。この時に一佐先生に歌舞伎座の楽屋でつけていただいたお稽古は、一生忘れないと思っています。そしてたくさんの先輩方からもご指導もいただきまして、忘れられません。

日々ひとつひとつの立ち振る舞いを教えていただいて「素敵だなあ」と憧れの先輩の常磐津美寿郎さんから出番10分前に楽屋で「舞台に上がったら、とにかく堂々とするんだよ」と言葉をかけていただきました。とても気持ちが軽くなりましたし、この言葉は一生忘れられないですね。

―― すこし話を戻しますね。音楽でいえば武道館を目指してがんばろうということになりますね。常磐津の場合は、歌舞伎座まで、どういった段階を踏んで行くものなのでしょうか。

先生 それは難しいところでね、どんなに上手い人でも、歌舞伎座には出られない人もいるんです。何十年やってもね。歌舞伎座はたとえばね、演奏をしてみても場所によって壁に当たって返ってくる音が全然ちがうんですよ。

―― お客さまがいると、そこにまた空気も生まれる。

先生 そうそう。お客さまも「歌舞伎座に座っているんだぞ」というパワーがこちらにくるでしょう。なので、他の劇場とちがうんですね。歌舞伎座は「大特別」です。

重藤 その特別な歌舞伎座が初めてというのは、一生の財産です。

江戸時代から受け継がれる曲。

先生 常磐津って曲目が250くらいあるんですね。ストーリーのわかりやすいものが250曲ほど。やがて消えるだろうなという曲が、さらに20~30曲ほどあります。

―― 江戸時代からでしょうか。脈々と新しいものができて積み重なって250曲目という数字になった。常磐津には、落語でいうところの古典落語や新作落語のような考え方ってありますか。

先生 新作の作品が出てきてほしいですけどね。まず歌詞というストーリーがないと新作はできませんよね。そういう詞を書く人がいま、ほとんどいないんですね。

いま演じている古典も、元は新曲です。だから何年も経って古典となっていくわけで、そもそもは新曲なんですよね。詞を新たに書く人がいたら「お願いします」と言いたいな。

―― 常磐津の詞を書くことについて、当時から専業の職があったのでしょうか。

先生 いまでもありますが、歌舞伎のなかに作者部屋というのがあってね。「この役者さんがこのセリフを言う」と作者が伝えると、役者が「ここのセリフをもっと増やしてとかカットして」とか、そういうことやりとりがあったんです。

たとえば歌舞伎に「道行」という男女の駆け落ちを描いたジャンルがあるんですね。歌舞伎の中で盛り上がるのが道行なんですが、そういった場面をつくるのにも作家さんがいるわけです。

―― 詞のストーリーがあって、そこに曲がつきますよね。

先生 そう、作曲しますでしょ。三味線もそうなのだけど「500なら500、1000なら1000」の手順があります。その方法ををいろいろ変えて、自分で考えることが作曲ですよね。

「ここに蝶蝶が飛んでいるよとか、ここに富士山がぱーっと見えるよ」であるとか、イメージを持たせられないと、本当の作曲ではありませんね。残っている古典は、すべて情景が見えますから。

―― なるほど。このお話、もう少し踏み込ませてください。作詞から作曲は、どのような工程で完成していくのでしょうか。

先生 たとえば江戸時代、作者がさんざん遊ぶんですね。作者はその間にいろいろアイデアを考えて、詞としてまとめます。それを演奏者に「こういう詞ができましたよ」。そうして話がまとまると、演奏者が曲をつけます。演奏時間がたとえば30分間だと見えてきた。

しかし役者さんが「長すぎるからカットしてよ」となれば、意見を反映させて30分を25分にするとかね。そういうことの何百回の繰り返しによって曲ができたのが、常磐津です。

―― はあー。そういった積み重ねのなかで「この曲目は、こうやって演奏するんだ」という曲の全体像が明確化されて、演じられていくわけですね。そこから結果として厳選されて現在の250曲目になったと。

プロたるや、どんな料理でも極めるべし。

先生 そこに携わるひとりの人間が、重藤くんなんですよ。当然ながらプロになってやるからには中身が濃くないといけない。たとえばすべてが「お茶漬け」ではだめなんです。中華も洋食もないと。それくらい種類があってそれぞれ完成度を高めていくことが本当のプロなんです。

やっつけ仕事でやるならプロを目指すのはやめなさいと教えています。そこにいたるまで、がまんができるかどうか。それがプロの大変なところなんです。

―― 中華を極めたら、次は洋食でも同じようなレベルでないと。

先生 一つ極めたらまた次、永遠です。ほっとしてしまったら、だめなんです。

―― 極めていく深さを、どれだけ横に広げていけるかということですね。

先生 そう。たとえば常磐津で「松の曲」をやったとするでしょ、また来月やるとして、前回と同じようではだめなんです。さらにそれを高めてないと。

極端な話、松が大木になっていないと。表現が古いけれど、そういうことです。人に高めてもらうのではなく、自分が燃えていないと。なんの仕事も一緒です。

―― とくに常磐津は口承つまり、口で伝えて行くことで次の世代につないでいくわけですよね。

先生 そこは、たえず危機感を持っています。誰かがやっていないとだめ。指導者は宿命までも計算をしていないと。教える人がフルパワーであることもそうですし、教わる人も同じ燃え方でないと、いい炎にはなりませんね。

江戸の情景が、浮かび上がる

―― それでは続いて内容について聞かせてください。常磐津には、詞があって歌があって三味線があって、ぼくは華やかなイメージを持ちました。そしてお話には色っぽさもありますよね。

先生 落語と同じで吉原の世界を詠んだものは多いですね。あとは景事(けいごと)といって春夏秋冬で季節の歌もありますが、ほとんどの曲は歌舞伎と縁が深い。

たとえば先ほども挙げた「道行」もそうです。内容は、いまでいう逃避行かな。必ず親が反対するなどの場面があります。店の娘と商人が駆け落ちして、昔は崖から落ちるとかね。

―― 先ほどのお話にあった、たとえば富士や松があたまの中で思い浮かぶというのは、江戸の情景を現代に蘇らせる、つまりもう一度イメージを新しくつくり上げるおもしろさがあるのかなと。「この曲でこの節だから、情景を感じさせる」っていう、深い領域がある気がします。

重藤 ストーリーでぼくが思ったのは、たとえば「道行」という男女の二人の駆け落ち。その背景は、親に反対されてとかなんですが、そこに普遍性があるんですね。

常磐津の詞には、ありとあらゆる人生の不幸のパターンが詰まっているように感じています。だから共感できたり、これからの人生を生きる上で常磐津の詞が予防接種になったりするのではないかなあと。そんな魅力があるから、いままで継承され続けていると思っています。

―― 情景を再構築させる技術と、ストーリーそのものにいまでも通じる普遍性があるからこそ、いまでもグッとくるものがあるんでしょうね。まさに現代は「不倫」がよく報じられています(笑)。

先生 「道行」に絞っていえばね、演者は観客に「わからせよう」としたらダメなんですね。わかりやすさに寄って、さらさらとやってしまうのは、だめだと思う。訴えるものがないとね。

―― なるほど。たとえば落語を例にしますと、当時の江戸の情景・言葉を、いまの人に思い浮かべてもらうこと、つまり現代に伝えることに対して、立川談志のような人は葛藤を感じていたと思うんですね。

先生 うん、うん。

―― ある人は新作落語のような今の言葉で伝えています。もちろんそこにも葛藤もあると思うんですね。ただたとえば、講談は決まった台本を演じていく芸能だと思います。

先生 講談と、かなり近いところはありますね。

―― はい、講談に通ずるものがあると思いました。そのうえでなのですが、いまの方に言葉で芸を伝えるにあたって言葉と、浮かべてほしいイメージとの乖離について思うことはありますか。

先生 それは難しいけれど、興味のある人にどんどん聞いてもらうしかないでしょうね。「あ、こういう芸能があるんだ」と知ってもらうんです。いい意味のマンネリになった方がいいんですね。

その意味で、ファンを増やしていかなければなりません。お客さまは真剣に聴きに来てくれているんです。われわれ演者が生温くては、だめですよね。もしかしたら何回も来ていただけるような方が、1回きりとなってしまう。

ファンを育てること、場をつくること。

―― なるほど。つまり、観客も育てていかなければならない。

先生 そうです。「最初はこの演目を聞きなさい」という人が、若い人を引っ張っていくわけです。来て「どうだった?」と聞いて、次も行ってみたいってなると、続いていきますよね。

―― たとえば、重藤くんを媒介としてぼくが演目を聴いたとして、入り口さえあれば、興味は持つと思います。

先生 入り口は大切です。しかしその先の足下がゆるんでしまった沼のようではいけない。すべてがそうなってしまうんですね。

―― そうですね。「この演目は…」ではなくて、なんなら伝統芸能そのものが「うーん…」という印象になってしまいます。毎回が勝負ですよね。

先生 落語とも共通していて、自分のハートにささる一席を目の当たりにすると、落語そのものに期待を持つでしょう。同じなんですよ。

―― 重藤くんと先日話していて感じたのですが、彼は、常磐津に軸足を置こうとしています。いろいろな肩書きがあるなかで「ぼくはこんなことをやっています」と、拡声器を使うかのように伝えて「どうぞきてください」と。そこで軸足へ戻ったときに演目として良いモノを見せる。そこが素敵だなと思っていて。

先生 彼が本格的にデビューして「おれがこうやるんだ」と知人を30人連れてきたときに「1人でもやってみたいな」と思ってくれたらありがたいですね。そのためにも重藤くんは一生懸命やらないとですね。

師匠はすぐにわかりますから。よいことも、わるいこともね(笑)。だからプレッシャーなんだと思うけれど、がんばってファンも増やしてもらって。

―― 若い方を取り込んでいく土壌をつくっていきたいということで。

先生 そういう想いはずっと持ってます。その門戸はずっと開いていて、演奏会を通じて、まずはその繰り返しですよね。

―― ぜひとも演奏会の方に一度きていただきたいですが、たとえば読者の方が今回の記事をきっかけに「常磐津おもしろそうだな」と思ってもらったとしていかがでしょうか。

重藤 うーん、ざんねんながらいま、場はないんです。落語とここがちがう点ですが「誰がいつ、演じます」という情報が、たとえば落語だったら専門雑誌が月1で発行されていますよね。常磐津はまだなくて。

―― なるほど。場、ほしいですね。

先生 理想ですよね。落語のように、たえず聞ける場があるといい。その場所づくり、そして詞を書く作者さん。この二つが必須ですね。(同席している放送作家の重倉涼さんを指差す)なので、できれば彼にもがんばってもらいたい。

一同 (笑)

―― 彼はやる男です!では場の方も考えたいですね。活動の拠点は、おもに東京と関西でしょうか。

先生 東京と関西に常磐津協会という団体がありまして、半年に一度、東京は日本橋劇場、関西は文楽劇場で大きい会があります。協会は二つあって、東の人は東で、関西に住んでいる人は関西でやるという具合です。

―― あっじゃあ、東京と関西で流派など分かれてはいないんですね。

先生 それはないですね。人数で考えても、歌と三味線あわせて40人ほどです。東京と関西でそれぞれ20人弱くらいでしょうか。

―― なるほど。演者の皆さんおひとりが、ジャンルそのものを背負っている印象ですね。

常磐津、それは「ひとりオーケストラ」

―― ところで基本のことをまた伺ってしまいますが、歌と三味線というのは、領域が分かれているものですか。それとも演者の方は、両方とも習得していくものでしょうか。

重藤 死ぬまでにしっかり習得できたら最高ですね。ぼくはいま「歌・語り」をとにかく教わっています。が、近いうちに三味線を教わりたいと思ってます。


稽古中の風景

先生 
語りから始めていくものなんです。三味線は歌・語りを通じて耳に入っていきますから。ただし三味線の方が何十倍もたいへんではあります。三味線というのはオーケストラでいうところの指揮者でもあるし、第一バイオリンをやるようなものですね。

―― 指揮者でありながら演奏者でもある。「ひとりオーケストラ」ですね、そこに語りがぶつかっていくという。

先生 三味線の役割は本当に難しいのだけど、三味線ほど楽しいものはないです。自分の思うままにできるでしょう。この人はちょっとかたい歌い方だとか、やさしい歌い方だなあとか。それぞれの特性に合わせて伴奏するから。

―― ということは、同じ演目の歌でも、その演者によって、個性といいいますか、ちがいはありますか。

先生 その通りですね、ぜんぜん変わってきます。雰囲気や間も、変わってきますね。

―― 「この曲はこういうふうにやる」っていう基本があって、その上に個性を重ねていくようなアレンジがあるということでしょうか。

先生 アレンジも大いにあります。ただのまちがいもありますけどね(笑)。まずは自分の先生から教わった通りを再現するようにしているしているつもりで、このへんは、もっと速くするといいとか、遅くするとか、わかってくるんです。

―― 芸を磨くなかで自分の型が見えてくる。たとえばお客さまも「あ、ここはこういうふうにやるんだ」とか、そういう楽しみ方もありますよね。何回も通うようなお客さまはもちろん、そういう楽しみ方をされていると思います。

常磐津にずっと、しがみ続けること。

―― 重藤くんに純粋に聞きたいのですが、先生と別の方の同じ演目をきいて「ここがちがう!」とか、あるものですか。

重藤 皆さん第一線で戦われている方々は、どなたも素敵です。もちろん一佐先生も抜群に素敵です。あるとき国立劇場で先生の※「双面(ふたおもて)」という演目を観ていまして。別の方の同じ演目も聞いたことがあったのですが、その違いがわかった瞬間に、「常磐津って なんておもしろいんだ」と思ったんです。

※「双面」は常磐津節の一つで、本名題《両顔月姿絵(ふたおもてつきのすがたえ)》。現代では《双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)》の名題で上演することが多い。

―― 「ちがい」を考えたときに、ズバリこれというものはないかもしれませんが、いかがでしょう。

重藤 他の方の「双面」では人物像が感じられ、一佐先生の「双面」では隅田川の映像が浮かんだように感じました。バチっときたんですね。

実は一佐先生の「双面」を見たときは、お手伝いで舞台袖で聴いていたのですが、舞台袖は出入りが多くて、演奏の様子が袖からは見えなかったんです。舞台で何がおこなわれているかわからないのに、ぼくは「見えた」と思って。

そこから続ける決心をしたというか「ここからぜったいに離れたらダメだぞ。しがみついてやるぞ!」という気持でいます。

―― そんな重藤くんは月の半分を京都で過ごしているということですが、今後について思うところはありますか。

重藤 未来は読めないので常磐津そのものがどうなるかはわからないとして。まず常磐津にしがみ続けることが、ぼくの責任だと思っています。

その意味では、友だちにみせたとき、「ねっすごいでしょ」ってお互い言い合えることにできたら成功かなと思います。それ以上は恐れ多いですね。「おもしろそう」という空気や匂いをつくって、実際にきてもらって「すごいでしょ」って言いたいですね。

―― 先生にもぜひ伺わせてください。

先生 いま思っていることはね、プロとて、さらに真剣にやるということですね。そうでないとプロの人口も増えない。お客さまの数も増えない。皆さん一生懸命やっているんだけどね。

ただ継承していくのではなくて、もっと粒だって演奏してですね、輝いたことをしてほしいんです。自分がのってないと、お客さんものらないと思うんです。つまり、たえずおいしいものを提供するということですね。

―― 「たえず」であることが重要だと。

先生 たとえば、あそこにいけば美味しい蕎麦が食べられる、と評判になれば「ぜひいきなよ」というようになるはずです。「たえず真剣で、たえずおいしいものを提供すること」。

―― 今後はもちろん、はじめて食べる方もいるでしょうし。

先生 価格がすこし高くても、おいしかったら、いくでしょう。あとは自分を鍛えることですね。教わった通りではなくて、それはかなりハードですけど、プロになるんだから。

―― ぼくは重藤くんから、個人がメディアの場そのものになってやるくらい覚悟を感じています。

先生 重藤くんが、さらにいい演奏家となって、やがて世間に良いイメージを与えていくとします。周りのプロは負けたらだめですが、ただそれが刺激となって先輩もさらに一段上がれると、思うんですね。

―― 重藤くんのがんばりが、常磐津の全体にいい効果を発揮するわけですね。

先生:お互いに綱引きですけど、どっちが勝つんだ、負けるんだということで。引き合いをしていってもらえればと思います。これからが楽しみです。

―― ありがとうございます。ぼく自身、常磐津という芸能についてより興味がわきました。場づくりもできることがあれば微力ながら協力させてください。

重藤 今回のインタビューは、ぼくの方から先生とご一緒させてもらうお願いをしましたが、皆さんが少しでも興味をいだいてくださったら、ものすごくうれしいです。

―― それでは最後お決まりとして重藤くんに伺います。「26歳のときに考えたことがその人の今後の人生の方向を決める上で重要な土台となる」。これは上岡龍太郎さんがかつて提唱した「26歳原点説」という考え方です。何か思うところはありますか。

重藤 編集者の九龍ジョーさんにご飯連れていっていただいた時に、何件も梯子して、解散する時、四谷三丁目の駅で九龍さんから「常磐津の解像度を上げてくれ!」と叫んでいただきました。

「常磐津の解像度」という言葉を、いまの自分の理解力でできるかぎり考えてみると、常磐津の文脈をわかりやすく言語化すること、そしてその文脈と現在の接点をみつけることだと思いました。

いま「26歳原点説」を伺って「あー、26歳までに一生をかけて挑戦できる常磐津に出会えて幸せだ」と思います。これから「常磐津の解像度」を少しでも上げられるよう、とにかく常磐津にしがみついていきます。

相手の懐にスーッと入り込み、器用にこなしてみせる重藤くんは、常磐津に全身全霊で挑みます。すべての活動は常磐津のために。今回、一佐先生にも同席いただき、貴重なお話を伺うことができました。すこしでも興味を持ってもらえば嬉しいです。一佐先生、重藤くん、お忙しい中ありがとうございました!

興味を持った方へ。「文化デジタルライブラリー」の常磐津の項目はこちらから!

2017年7月 都内の稽古場にて

1千代雷央

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