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いたつ

美容師からヘアメイクに転身し、第1線で活躍されている、いたつさん。
いまの仕事に携わるきっかけやこだわり、流儀についてうかがいました。

5年間のサロンワークを経て、ヘアメイク業界に転身。
サロンワークで培った感性から提案されるスタイルには女優・タレント・モデルから定評あり。
指名も多数あり、講師活動にも力を入れている若手有望ヘアメイク。


【WORKS】

・docomo Xperia TV‐CM
・資生堂コラーゲンドリンクTV‐CM
・雑誌with / MORE etc…
・東京ガールズコレクション
・JOURNAL STANDARD / Rouge vif la cle / BEAMS etc…
・阿部菜渚/ 内田理央/ 飯豊まりえ/ 江野沢愛美/ 重盛さと美/坂ノ上茜
久保ユリカ/ 阪本奨悟/ 蒼井翔太/ 小越勇輝/ 西銘駿/ とまん/ バトシン/ Apeace/ XOX/ 風男塾/ GEM/ etc…

ここから、はじまった。

―― いたつさんとは一度、お仕事もさせてもらったことがありますね。まず、過去から伺わせてください。幼少のころはどんな性格でしたか。

いたつ 地元は愛知の田舎のほうなのですが、ひとりで遊ぶのが好きでマイペースな子でした。たとえば小学校3年生くらいまで自転車に乗れなかったんです。普通ならみんなやっているし、練習するじゃないですか。ぼくは何をやっていたかというと、ひとりで走っていました(笑)。「自分は自分」とか、そういう性格でしたね。

―― 当時から人に流されない自分の芯があったんですね。もしタイムマシーンで小学生、中学生のころに戻って「今こんな仕事してるよ!」っていったら、どんな反応しますか。

いたつ びっくりするでしょうね(笑)。そのころは将来のことはまったく考えていなくて。学校によくある「将来の夢」のようなものも、そのときの気持ちをただ書いていました。10年前でさえ、いま自分を想像できなかったと思いますね。

―― ヘアメイクになる前に、まず美容師の専門学校に入学されたんですよね。

いたつ そうですね。高校のとき、美容学校のガイダンスを聞いておもしろいと思いました。前から木村拓哉さんのドラマ『ビューティフルライフ』をみて「美容師っていいな」とはなんとなく思っていて。行きつけの美容室でその話をしたら「良いじゃん」と。そのときにその美容室のオーナーがたまたまいて、親心でアルバイトに誘ってもらって。そこからトントン拍子で話が進んで。

―― そこから美容の世界にがっつり入っていくわけですか。

いたつ 高校卒業後、美容室のバイトをしながら専門学校に通う生活を送っていました。当時は美容しかしていなかったですね。美容師って最初はシャンプーとかそういうところから始めるのですが、やることが段階的にあるんです。美容に関しては負けたくないから、どんどんトライするかんじ。というのも、たとえばこれまでスポーツですと、やればそこそこできてしまって、別段はまったこともなくて。中学校の最後の大会なんて家で寝ていましたから(笑)。

マインドを形成した言葉。

―― 自分に合うものを「見つけた」ってことなんでしょうね。それがこれからの仕事になるんだろうなという自覚はありましたか。

いたつ 18歳のときに父親が他界して、自分がしっかりしようと決心して。そんな過去もあって、がむしゃらにやっていました。ちょうどそのころ、目をかけてくれた親戚のおじさんから「やるならちゃんとやれ」と言われて。そのおじさんは会社で成功していまこそ余生をすごしていますが、職人からスタートした、手に職のタイプの人でした。「まずは5年やれ」。おじさんからもらった言葉を大切にしていて、5年はやりきるという感覚をずっと持っていましたね。

―― 決意をしてからしばらくは専門学校で学びながら、美容室で仕事をしていたわけですよね。周りに同じような方っていらっしゃいましたか。

いたつ 当時、カリスマブームも落ちついていたのでクラスの人数は少なかった方でした。ブームの頃と比べると美容師にスポットライトはそこまで当たってなかったんじゃないですかね。ただ、どうしても緊張感のない方も少なからずいて。反面教師にもしながら一心に、ぼくは毎日ずっと練習していました。地元にいるときは正直、ほぼ遊んでいなかったですね。

―― いまのお話を伺って美容室のアースホールディングス社長の國分さんの本を思い出しました。一念発起して上京して、歌舞伎町の美容院でゼロから始めて。毎日ずっと居残りして上達していったところとか、そうですよね。決意はあったと思いますが、継続できた原動力というのは何でしょう。

いたつ 自分のなかにあるアスリートの心が、美容をきっかけに開花したんでしょうか。ひたすらやり続けていましたね。コンクールに出て何回か優勝をすることもあって。それが楽しかったのはありますね。コンクールがあるからまた練習をして。もちろん上には上がいましたが。

―― コンクールに出ることによって、さらに上が見えてくる。

いたつ タイミングやセンスなどの要因もありますが、圧倒的な練習量と継続があれば、ある一定のレベルには到達できます。手をとめたらのびませんし、むずかしい。で、ようやくそこに行き着いたと思ったら「こいつやばいな」と思うような人と出会うことがあります。一つの技術をとっても上には上がいるんです。ただぼくは、一定まではそれぞれ会得したので、後輩たちには教えられるし、良いパフォーマンスも出せます。ちがうこともやろうと思うようになったのもその頃からですね。

ヘアメイクって職業に、気づいたんです。

―― そこからヘアメイクの道を志すことになるわけですよね。きっかけは何でしょう。

いたつ 普段、お客さまから「こういうふうにしたい」って雑誌やカタログから希望をもらいますよね。だんだん「その人たちの作品を模範して楽しいのか」って思ってしまったんです。その人のオーダーメイドなのだけど模倣だなあと。「そもそも、これをつくっているのは誰なのか」ってなるわけですああ、ヘアメイクっていう職業なんだと。そのとき、親戚のおじさんからだいぶ前に「やるなら東京で勝負してみろ」って言われたことを思い出して。ようやく自分のなかでリンクして答えがでました。「ヘアメイクとして東京で仕事したい」という思いがそこで芽生えましたね。

―― ほおー!そこで気づいたんですね。では「どうやったらなれるのだろう」ってなるわけですか。

いたつ 同級生のお母さんがたまたま業界の関係者で、お店にきてくれたときに「撮影やってみたいんです」と話をしていてたら、ヘアメイクさん、カメラマンさんとのご飯の会に運よく誘ってもらえて。お酒の席だったので「若いなら東京いっちゃえば?」「いいですね!」って(笑)。ノリもあってそんな話をしていると、カメラマンの方が東京の知り合いに電話してくれたんです。ちょうどいま仕事をしているヘアメイクさんが、アシスタントを探していると。そこの事務所の名前や番号をきいて、さっそく電話したんです。

―― さすが、行動が早いですね!

いたつ そうしたら「ああ、はい募集してます。では経歴と作品を送ってください」って。ただ、作品っていうものがわからない。自分ができることを何でもいいから写真でおさめて、それをアルバムにして手紙をつけて送ったんです(笑)。地元では「作品を撮る」っていうことがなかったんですよね。で、返事がないから電話しました。

―― すばらしいですね。その手づくりは、かえってインパクトがあったのではないでしょうか。

いたつ ガッツは認められましたね。向こうの副社長がおもしろがってくれて「こんど東京おいでよ、話しよう」って。そこで東京に行ってたわいもない話をして帰るんですが、そのあと連絡がこなくて。こちらからまた電話して何度か東京に行っていましたが、そのとき自分に酔ってしまって。「東京いいな」って。その次の日に、家を探しにいったんですよ。まだ合格も決まってないですよ(笑)。

―― えっ!地元の美容院ではまだ働いているわけですよね。

いたつ はい。もちろん休みの日に行っていましたがオーナーには「講習です」と嘘をついて。いい物件があったので、ついに決めてしまいました。よくわからない自信もありましたね。美容院には「東京で挑戦したいからやめます!」って。5年ぐらい若手としてがんばっていましたので、すごい怒られました。「おまえとは口をきかんで」と。いまの仕事のこともたぶん知ってくれていると思いますが、東京きてからオーナーにはまだ会えていないですね。

―― ああ、会えていないんですね。「ウチくる!?」にもしいたつさんが出演したら、どういう展開になるのかなって、ふと、いま考えました。引っ越しを決めて、ヘアメイクの事務所の方からはOKが出たんですか。

いたつ ヘアメイク事務所に引っ越しのことを伝えたらと「まじで?」っていわれました(笑)。「じゃあ」ということになり、朝6時に九段下へさっそく。当時はアプリもなかったので紙の地図を買って。ばたばたの状態から始まりました。アシスタントとして2人についていましたが、これも良い経験でしたね。がむしゃらにやりました。アシスタントの仕事と、だんだん自分の仕事もでてきて、そこの折り合いがつかなくなって、はじめの事務所は1年程でやめることになりました。

―― そしてフリーになって。

いたつ はい。フリーになってから1年半は仕事がそんなに無くてバイトをしながらの生活でした。その1年間のつながりで仕事をしていて、いまの社長と出会いました。会社を立ち上げるということだったので参加しましたが、ボス(社長)はスパルタで、甘やかして仕事をあげない、男なら仕事を取ってこいというスタンスで。上にもいてその人がやらない仕事をやっていました。準備期間ですね。

―― そこからSNSを積極的に取り入れるとか、いまのスタンスが徐々にできあがっていったのでしょうか。


いたつ
自分をどうプロデュースするかということは常に考えてましたね。自分の場所をどうつくっていくか。SNSも早い時期から活用して「ここまでは出していい」というのをやっていました。周りからは変わっているヤツって思われてましたね。でも1年半くらい虎視眈々と続けてきて、仕事が増えてきました。やっと業績に貢献できるようになって。10代からの経験がいま活きていますね。

―― こうやって多岐にわたって活躍されていると、どの仕事がいちばん楽しいですかってきかれることもあると思うのですが、どうでしょう。

いたつ 最近、仕事のモチベーションの根本を考えたときに自問自答してわかったことがあって。演者さんにはベストのコンディションにした後、表舞台に行っていただきますよね。そこで第三者、ファンに披露したあとの反響って、自分に返ってくるんです。

―― 自分に返ってくる。

いたつ うん。美容室のときもそうで、スタイリングで終わるのではなく、たとえばその方が女性だとして家族や友だち、大切な人と会ってそこで「きれいだね」って言われることが自分の仕事なんだなって。「はい、終わりました」ではなく、そこからその人のパフォーマンスや、誰かに会うことの想像ができるかどうか。その意味で、ぼくにとってどの仕事も楽しいですね。

―― どの仕事にも楽しく取り組めるって素敵ですよね。なかには意識しても、実践するのはむずかしいという方もいますよね。

いたつ 美容室での5年間で身に付けたところはありますかね。仕事をしているとディーラーさんが、モチベーションを上げるために、鼓舞する言葉を綴った紙を持ってきてくれるんです。その紙を捨てる方も多かったのかなあと思いますが、ぼくはいまでも保管してあります。

―― そういった言葉を大切にすることでご自身の血肉としていったんでしょうね。言葉の力ってありますよね。

いたつ そうですね。ただ、モチベーションの捉え方は最近変わってきてます。たとえばイチロー選手って淡々としていますよね。きもちのムラってあると思います。今日はできる、できないような。そうなると、きもちが上がっているときはいいんでしょうけど、下がったときに会う方に対して申し訳ないって思うんです。失敗はとにかく切り替えて次にいかす。いいことわるいことがあっても、フラットにして、感情的にならないように心がけています。

一流の提案をするために。

―― 江頭2:50さんが常にベストを尽くす理由に「最後にみた江頭が手抜きだったら申し訳ない」という言葉がありますが、それに近いものをかんじますね。いたつさん、そういったこだわりって、他にもけっこうありますよね。

いたつ わりとあるかもしれません(笑)飲食店でいえば、トイレの隅をみます。そこにこだわれるからこそ上質な提案ができると思っていて。「神は細部に宿る」っていいますよね。誰も見ていない細部にこだわれるか。ぼくは、どんなに忙しくて部屋がちらかっていても、トイレはきれいに保つことは大事にしていて。いまだに家のトイレは三角折りにします。

―― 北野武さんもトイレにはこだわって手で掃除されますよね。いたつさんは、いわゆるそういう一流の思考をお持ちなのでいっけん孤高にみえますが、演者さんとの距離をつめるのがまたお上手だなあと。たとえば韓流のアイドルグループのApeace(エーピース)さんはじめ様々なアーティストの方たちともグッと距離を縮めていらっしゃいますよね。

いたつ そうですね。実は、仕事で知り合った当初は、彼らはそんなに日本語が話せなくて距離感もありました。あまりさわらせてくれなかったですね。相手にされていないので「まずい。どうやって仲良くなろう」と。試行錯誤しました。

―― 最初から仲が良いわけではなかったんですね。努力をされて。

いたつ あるときメンバーのひとりが「髪をきりたい」って言ったんです。ハサミがあったので、ばばっとカットして「どうよ」「いいじゃん」って(笑)。評判が広がってそこから仲良くなりました。プライベートの関係性も深まることで、仕事でも信頼してもらえるようになりましたね。

―― お話を伺っていて、仕事への取り組みの「剛」と、懐に飛び込む「柔」、両方を持ち合わせているんだろうなあとかんじました。今後やってみたい仕事はありますか。

いたつ いまの会社を拡大して、地元の愛知で事業をやってみたいですね。地方がフューチャーされる時代がきていると思うので、地元を活性化して盛り上げたいなと。東京のエッセンスを地元に持っていって、地元で得たことを東京にいかすような。有機的につなげたくて。あとは、東京オリンピックに関わりたいですよね。開会式に出演するアーティストなど自分が携わる可能性はあると思っていて。まだ時間ありますし、2020年あたりは自分のベストの時期。そこが一つのターニングポイントです。

―― それでは最後にうかがいます。「26歳のときに考えたことがその人の今後の人生の方向を決める上で重要な土台となる」これは上岡龍太郎さんがかつて提唱した「26歳原点説」という考え方です。何か思うところはありますか。

いたつ 20代、若いときにガーっと本気で取り組んだことが後々にいきるっていうのはまちがいないと思います。義務とかではなく、正しい方向でひたすらやる。ぼくは、若いときから自分の人生を日々アップデートしてきました。ちょっと自分は「変わっているな」と思うこともあります。この先、結婚できないんじゃないかなって(笑)。ひとまず、いまは歩んできた道を信じて自分に期待をして、その瞬間を楽しく生きていきたいですね。

―― 自分に期待するっていいですねえ。ますますこれからが楽しみです。いたつさん、お忙しいなかありがとうございました!

2016年9月 渋谷にて

プロフィール

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